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カール(, 1786年7月8日 - 1818年12月8日)は、バーデン大公国の第2代大公(在位: 1811年 - 1818年)。全名はカール・ルートヴィヒ・フリードリヒ()。初代バーデン大公カール・フリードリヒの孫。 1786年7月8日、バーデン=ドゥルラハ辺境伯カール・フリードリヒの長男であるカール・ルートヴィヒと、その妃でヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世の娘であるアマーリエの間に第6子(次男)としてカールスルーエで生まれた。兄のカール・フリードリヒはこのとき既に歿していたため、1801年に父がスウェーデンで事故死すると法定推定相続人となった。 バーデンは1803年に選帝侯となり、さらに1806年に神聖ローマ帝国が解体すると大公国となった。1811年に祖父が死去するとカールは大公位に即いた。当初バーデンはライン同盟に加盟していたが、1813年のライプツィヒの戦いの後はフランスから離れた。クレメンス・メッテルニヒが主宰したウィーン会議に参加し、1815年に成立したドイツ連邦の原加盟国となった。 1818年12月8日にラシュタットで死去。息子はともに夭逝していたため、叔父のルートヴィヒ1世が大公位を嗣いだ。 素性不明の捨て子カスパー・ハウザーに関する噂の一つに、カスパー・ハウザーは1812年に誕生後すぐに死去したとされたカールの長男であったというものがある。 == 結婚と子女 == 1806年4月8日にナポレオン・ボナパルトの養女であるステファニー・ド・ボアルネとパリで結婚した。彼女との間には以下の子供をもうけた。 * ルイーゼ・アマーリエ・シュテファニー (1811年 - 1854年) - スウェーデン王子グスタフ妃 * 男子 (1812年9月10日 - 1812年10月16日) * ヨゼフィーネ・フリーデリケ・ルイーゼ (1813年 - 1900年) - ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯カール・アントン妃 * アレクサンダー (1816年5月1日 - 1817年5月8日) * マリー・アマーリエ・エリーザベト・カロリーネ (1817年 - 1888年) - ハミルトン公爵ウィリアム・ハミルトン夫人 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カール (バーデン大公)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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